いつからだっただろう、俺がこの人に想いを寄せるようになったのは。
そうだ・・・あの台詞を聞いたときからだ。

「偽ることなく、自分の道を信じなさい。臆すれば道は閉ざされる。踏み出せば道になるんだから。」

今でも、その言葉は鮮明に俺の心の中に残っていて・・・。



−道心−



鞍智がイラクへと出張しているときに、1週間遅れで合流したワイルドライフの獣医師がいた。。一度も会ったことはなかったが、彼女の噂は聞いていた。その技術もさることながら、情熱も人一倍で。心を決めたら、それに突っ走る、まるで鉄砲玉のような獣医師だと。噂に上っていたのは、その事だけではない。まるで大学生くらいの見た目だと。誰も実年齢は知らない。そんな噂を持ったに、少なからず鞍智は興味を抱いていた。
その本人が今目の前にいる。小柄で、金に近い茶色の髪を後ろで一つに束ねている。美人というよりは可愛いタイプのその顔。
彼女の手術の技術にも、診察の手際のよさにも、鞍智は舌を巻かざるをえなかった。自分が1頭診察を終えるのに、は3頭は終わらせていた。

そんなある日。急患が2頭運ばれてきた。どちらも重症の患蓄。劣悪な環境で手術をせざるを得ない。しかし、これほどまでの重症の患蓄を手術した経験が鞍智にはなかった。それを知ってか知らずか、はすかさず手術の準備を進めていた。戸惑っている鞍智を目にして一言。

「偽ることなく、自分の道を信じなさい。臆すれば道は閉ざされる。踏み出せば道になるんだから。」

と言い放った。その言葉が、どれだけ鞍智に勇気を与えたか。本人はまったく知る由もなかった。
その日を境に、ただただその後姿を見つめていた・・・出来る限りのことを吸収しようと。



先生、お帰りなさい。」

数週間後、R.E.Dにて。イラクから日本に帰らず、その足で他の国へと出張にでかけたが、ようやっと日本に帰ってきた。髪が大分伸びて、プリン頭になってしまっていた。

「あ、鞍智くん。久しぶり。」

にっこりと笑う彼女の顔を見て、懐かしさを覚えた。そして、やっと胸の中にできた隙間のようなものが埋まったような気がした。と離れて数週間。のことを思い出さない日はなかった。
重症の患蓄が運ばれてくると、いつものあの言葉を思い出す。あの言葉がなければ、きっと自分はすぐに諦めて安楽死を選ぶような獣医師になっていただろう。本気でそう思っていた。

先生・・・明日の夜、お暇ですか?」

「ん?出張にならなければね。」

「出張にならなかったらでいいので、よかったら・・・夕食でも一緒にどうですか?」

・・・貴女が言ったんです。偽ることなく、自分の道を信じろと・・・

「うん、喜んで。」

にっこりと微笑んで、は快諾した。私もいろいろ話したいことあるし、と付け加え、ひらひらと手を振ってその場を後にする。その後姿を、鞍智は人知れずため息で見送った。


翌日。日勤勤務も終わりに近づく頃。今日はそれほど患蓄も多くないので、定時とは言えぬが、早めに帰路につけそうだ。
鞍智がちらりとの机を見ると、なにやらパソコンに打ち込んでいる。真剣な表情で画面を見つめるその姿に、鞍智の心臓は少しだけ鼓動を早めた。自分に送られる熱視線に気がついたのか、ふと鞍智と目が合う。鞍智は慌てて視線を逸らしてしまった。その後にまたチラリと見やると、はキーボードではなくマウスを使っていた。音楽が流れ、画面が暗くなったのがの顔にうつる光でわかった。
カタリと椅子から立ち上がると、真っ直ぐに鞍智の方に進んでくる。視線を向けると、ふわりと微笑むの顔が。先ほどとは打って変わって、鞍智の心臓の鼓動は早まる。

「今日、どこ行く?」

「あ、出張になるかも・・・って言ってたので、どこも予約入れてないんですけど・・・」

「じゃあ、この近くに、私の友達がやってる居酒屋があるから、そこに行こうか?」

「はい。」

「じゃ、仕事終わるまでもう一頑張りね!」

クルリと資料の入ったロッカーのほうへと歩いていってしまった。その後姿を鞍智は見つめ、

あぁ、俺は、先生の後姿を追ってばかりだ・・・

と感じた。少しでも、に近づきたいと。それでもはいつでもはるか自分の前を歩いている。あの日が自分に対して言ったことを実践していれば、俺は先生に追いつくことができるのだろうか・・・。
そんなことをぼんやりと考えていたら、結構な時間が経ってしまったらしい。が心配そうに鞍智を覗き込んでいた。

「大丈夫?」

「あ、はい。行きますか?」

「私はもう終わったけど・・・鞍智くんは?」

「あ、行けま・・・」

先生!鞍智先生!!急患です!!」

二科の看護師が慌てて医局の中に駆け込んできた。咄嗟に身構えた鞍智だったが、それよりも早く身構えていたのは他でもないで。もうすでに白衣を羽織ながら看護師に状況を聞いている。鞍智は机の上に散らばっていたボールペンを胸ポケットにしまうと二科医局を出て行こうとしているの後に続いた。

診察室に横たわるのは、猛獣である虎。もう息も絶え絶えの状態。輸送中に交通事故にあったらしい。手負いの獣は手に負えぬほど凶暴化するが、すでにそれも出来ぬほど弱っているらしい。体中の傷から血が脈動ともに噴出しているのがわかる。

「鞍智くん、助手やって。私が執刀するから。」

「はい。」

夜を徹してその虎の手術が行われた。結果はまだ予断を許さない状態ではあったが、一通り出来ることはやった。二人は達成感に浸りながら、二科医局でコーヒーをすすっていた。

「それにしても、先生の手術の技術はいつ見ても素晴らしいですね。」

「ふっふっふ。私、美坂先生の一番弟子だから♪」

「え、そうなんですか?!」

ということは、一体いくつなんだろう・・・。詳しくは知らないが、美坂はしばらく二科から離れていたはずだ。その美坂の一番弟子というのは、一体何年前に弟子だったのだろうか・・・。この目の前の、少女といっても過言ではないほどの女性が、一体何歳なのか。非常に気になる。陵刀ほどではないが、彼女もまた年齢不詳だ。まぁ、彼女が何歳であろうと、自分の気持ちが揺るがないのは鞍智本人が痛いほどによくわかっていたが。

「・・・一体何歳なんだろう、って顔してるわよ。」

「う・・・」

考えていたことを見抜かれて、思わず変な声を上げてしまった。それに対してくすくすと笑い声を上げてコーヒーをすすっている

「んー、何歳か当てたら、夕飯おごってあげるわよ。今日はもう無理だろうけど。」

「・・・何歳かなんて、関係ありませんよ。」

「え?」

カチカチと、時計の秒針が時間を刻んでいる。耳が痛くなるほどの静寂。

先生が言ったんです。臆すれば道は閉ざされる、踏み出せば道になるんだって。だから、今夜、踏み出そうと決意していました。先生、俺は、貴女のことが好きです。貴女の本当の年齢を知ったって、この気持ちは揺るがない。俺と真剣に付き合っていただけませんか・・・?」

「・・・・・・」

それを聞いたは、恥ずかしそうに視線を逸らしたまま口を噤んでしまった。心臓が張り裂けそうなほどに激しい動きを見せている。もうそろそろ我慢も限界に近づいてきた鞍智が口を開こうとしたとき、が口を開いた。

「じゃあ、ご飯は鞍智くんのおごりね。」

「・・・は?」

想像もしていなかった返答に、思わず鞍智は聞き返してしまった。

「恋人とのデートの料金払わないような甲斐性なしとは付き合わないわよ?」

にやりと妖しく笑うに、思わず笑いが零れだしてしまった。

「もちろん、俺のおごりですよ。」

そう言って、二人は笑いあった。


・・・数日後。

さん、本当は何歳なんですか?」

「ん?この前、何歳かなんて関係ないって言ったじゃない!」

「・・・知りたいじゃないですか、やっぱり。気持ちは変わりませんよ、もちろん!」

「・・・ぎりぎり三十路前。」

「・・・ぎりぎりなんですね・・・」

などという会話を、共通の師匠である美坂が盗み聞きしてしまったとかしなかったとか。


・・・サンデーの読者って、結構年若いんだろうけど・・・
こんな年上ヒロインでいいんだろうか・・・。
でも、私、最近年下眼鏡ッコ(え?)にはまってるので、
許してください。
鞍智は結構、年上のお姉さんとか好きそうな気がするのです。