「警視総監の貴方が、いつまでも独身な訳には行かないでしょう?」

「・・・はぁ。」

「うちの娘など如何ですか?」

「・・・はい?!」



−杞憂−



軽く話を受け流すつもりだった。華族の当主が、自分に何の用なのか知らないが、小難しい話は性に合わない。適当に受け流していればそれでいいと思っていた。しかし、よもや見合い話を持ち込まれるとは思ってもいなかった。自宅までやってくるとは、何故自分がこれほどまでにこの男に気に入られているのか、見当もつかない。

「実は、外に待たせてあるのです。会ってやってくださいませんか?」

にこやかに話を進める男。華族の当主の言葉を無碍にも出来ず、うんざりしながら八雲は、

「・・・わかりました。」

と返事を返した。何度となく見合いはしてきた。しかし、全て断ってきた。「この人こそ」と思える女に、一度も出会えなかったから。両親から「いい年なんだから・・・」と口を酸っぱくして言われる。しかし、一生添い遂げられると思える女でなければ、きっと自分のことだから長続きなどしないだろう。
今回も運命の人に出逢えずに終わるのだろう。八雲はそう高をくくっていた。
口髭を蓄えた華族の当主は、嬉しそうに遣いの者に娘を呼んでくるよう、言いつけた。
娘が来るまで、世間話をする。しかし、八雲の耳にはほとんど入っていない。その心の中は、「面倒くさい」という感情がほとんどを占め、期待など塵ほどしかなかった。

「失礼いたします・・・」

襖の向こうから、か細い女の声が聞こえた。

「どうぞ。」

八雲がその声に応えた。襖が開かれると、そこには赤い着物に身を包んだ少女が正座していた。美しく、まるで日本人形のようなその少女は、顔が赤かった。

「私の末娘の、です。貴方に命を救っていただいたとかで、えらく貴方のことを気に入っておりましてな。我が家で貴方が見合いをしたという話を聞いては、ひやひやしていたようです。」

豪快な笑い声を立てる少女の父親の言葉など、八雲の耳には届いていなかった。


この人だ・・・この人なら・・・


八雲の心の中には、その言葉が繰り返されていた。
やがて、少女の父親は去り、部屋に二人きりで残された。少女は一度も視線を合わせない。男と二人きりになるなど、おそらく初めてなのだろう。その恥らう仕種が、非常に可憐で可愛らしい。

「庭でも・・・歩きますか?」

「はい・・・」

は、八雲の三歩後ろを静々とついて歩く。会話はほとんどない。赤く色づいた紅葉がはらはらと舞っている。青い空に、赤い紅葉が良く映えていた。

・・・さん。貴方、親の言いなりになって私の元へ嫁ぐ、って言うんなら、やめておいた方がいいわよ。」

最初に伝えなければいけないことだった。警察など、いつ命を落とすかわからないし、さらに言えば、多くの悪人から恨みを買う存在。身内にその矛先が向けられる可能性だって無きにしも非ずなのだ。
ここまで言うと、大抵の女が黙り込んでしまうのだ。しかし・・・は違った。

「私は・・・親の言いなりになどなっていません。父に頼んで、貴方にお会いできるように取り計らっていただいたのです。私は・・・貴方のことを・・・」

頬を赤らめ、はそれ以上言葉を口にすることはなかった。少し肌寒い風が庭を吹き抜ける。その様子を黙って見下ろす八雲。屈まなければの顔は見えない。それほど、二人の身長差は大きかった。

「私のことを・・・何なの?ちゃんと言ってくれなくてはわからないわ・・・」

口癖となった女言葉。このような言葉に自ら退いていく女もいた。しかし、彼女は動じない。小柄でひ弱な外見とは裏腹に、非常に強い精神の持ち主らしい。

「私は・・・前に、貴方に命を救っていただいたときから、貴方のことをお慕い申し上げているのです。どうか私を・・・貴方のお傍に置いてください。私に出来ることなど限られているとは思いますが・・・それでも私は、貴方の力になりたいのです・・・。」

しっかりとした言葉。しかし、の瞳は相変わらず空を切っている。

「私といるということは、それなりに危険を伴うのよ。それでも貴方は、私の傍にいたいと思うの?」

本当なら、八雲とてと共にいれればどれだけ嬉しいか。これほどまでに心ときめいた相手は生まれて初めてだった。しかし、自分の妻になるということは、彼女を危険に曝すことになりかねない。それだけはどうしても避けたかった。おそらく、これから先唯一愛する人となるであろう彼女を危険な目に合わせたくはなかった。

「八雲様・・・それほど、私を妻に迎えるのがお嫌ですか・・・?」

遠まわしな言葉は通じない。が涙を浮かべている様を見て、八雲の胸は締め付けられるような痛みに襲われた。

「違う・・・」

気がつくと、八雲はのことを抱きしめていた。胸の中で、の身体が強張っているのが手にとるようにわかる。しかし、ここまで来て八雲も引っ込みがつかなくなった。

「一目惚れって、本当にあるのね・・・。貴方を見たときに、『この人こそ運命の人だ』と思った。貴方なら、妻に迎えてもいいと思ったの。でもね、私の妻になるということは、命を狙われるかもしれない。初めて・・・人を失うのを怖いと思った。だから・・・」

「八雲様・・・未来を杞憂していても始まりません。私では貴方の妻が務まらないとおっしゃるのなら、潔く身を退きましょう。しかし、貴方は私を妻に迎えてもいいと思ってくださったのでしょう?ならばどうか・・・私を妻として迎えていただけませんか?」

その言葉に、八雲は胸が熱くなるのを感じた。

「本当にいいのね?」

を解放し、八雲は少し屈んでの目線に自分の目線を合わせた。の真っ直ぐな瞳が、八雲を捉える。黒曜石のような深い黒の瞳。意志の強さを感じさせるその瞳は、八雲を捉えて離さなかった。

「・・・よろしくお願いいたします。」

視線を逸らさず、は返事をした。

・・・大事にするわ。」

もう一度、八雲はのことを抱きしめた。



結納も終わり、大安吉日。八雲との祝言が行われた。二人の門出を祝い、たくさんの客が訪れた。二人はとても幸せそうに見えた。

八雲の杞憂通り、は命を狙われたりもした。
それは、結局全く別の杞憂に終わった。しかし、それはまた別のお話・・・




八俣八雲です!!
しかも、一応これも続き物にしようと思ってます。
もう第1話にして夫婦になっちゃいましたから。
これから先どうしようかな・・・(考えてないのかよ)