「お帰りなさいませ。」
三つ指をついて夫を出迎える、あまりに幼い妻の姿。否応無しに、警視総監、八俣八雲の顔は綻ぶ。その可憐な少女といってもいいほどの歳の娘を妻として迎えてから、早半年が過ぎようとしていた。
−歓天喜地−
もうすでに夏。八俣夫妻は八雲の実家から二人きりのこじんまりとした家に引っ越していた。それというのも、八雲の母・・・にとっての姑が、グダグダとに対して嫌味を言うからで・・・それを見知っていた八雲が、二人で家を出たのだった。その後、後悔した母が何度も家に戻って来いと二人の新居にやってきたが、八雲は「イヤだ」の一点張りで、母の言葉に耳は傾けなかった。
は、華族の末姫といえどしっかりと花嫁修業をこなしていたらしく、掃除洗濯炊事までそつなくこなす。さらに言えば、可愛くて頭も切れて。まさに言うことなしの妻だと、八雲は自慢に思っていた。
「お食事の用意、出来ております。すぐにお召し上がりに?」
「そうねぇ・・・すぐに食事済ませて、出掛けましょうか?」
「え、出掛けられるのですか?」
「あんまり外に出ないから、知らないかしら?今日、隅田川の畔で花火があるのよ。」
「花火でございますか?」
子供心か乙女心かわからぬが、八雲の言葉がの心を刺激したらしい。キラキラと目を輝かせ、嬉しそうに八雲のことを見上げるに、心臓が破裂してしまうかというほどの高鳴りを感じる八雲だった。
「そんなに嬉しいの?。」
「はい!」
その幼妻は、太陽とも見紛うばかりの笑顔で返事を返した。
焼き魚、煮物、ご飯に味噌汁、そして漬物。豪勢とは言いがたいが、栄養の偏りがないように考えられて作られた食事。二人でいそいそと済ませ、出掛ける準備を始めた。
空はもうそろそろ完全に夜の闇に支配されるだろう。しかし、その夜の闇がなければ花火は美しくは咲かない。
箪笥の中から何かを探していたが、嬉しそうに八雲の元にやってきた。その手には、見たことのない浴衣が。
「あら、どうしたの?」
「・・・いつか着て頂きたくて、縫っていたのです。それほど上手ではありませんが・・・、もしご迷惑でなければ、お召しになっていただけませんか?」
「・・・ありがとう。」
手にした浴衣は、が謙遜するような物ではない、とてもよい出来のものだった。八雲の髪よりも濃い青。よい生地を使っているらしく、肌触りも申し分ない。
「、着付けてくれるかしら?」
「はい。」
にっこりと笑ったのその笑顔が、あまりに愛らしくて。八雲は自分でも気づかぬうちに、額に唇を寄せていた。その突然の行動には驚いたらしく、真っ赤になってふいっと目線を逸らす。そんな仕種もたまらなく可愛くて。少し困ったような笑みを浮かべた八雲は、今着ている着物を脱ぎ、浴衣を羽織った。帯を持っていたが、八雲の腰に抱きつくようにして帯を一回りさせる。その少し照れた顔も、何もかもが愛おしい。
この場で愛を確かめ合いたい衝動に駆られる八雲だったが、先ほどの、花火に連れて行くと言った時の、あまりに嬉しそうなの顔を見てしまっては、今更行かないとは言えない。帰ってくるまで自分の欲求は我慢することにした。
「、貴女も浴衣に着替えていらっしゃい。それとも、私が着付けてあげましょうか?」
「ご、ご冗談を・・・」
真っ赤になって慌てて自分の衣装の入っている箪笥のある部屋へと引っ込んでしまった。この上なく可愛い妻を設けられて、八雲はこの上ない幸せに浸っていた。
「お待たせいたしました。」
スーッと襖の開けられたその先には、白地に藤が染め抜かれている、いささか若いが身につけるには地味とも見える浴衣を身に纏っていた。
「もっと、赤とか桃色とか、可愛らしい色の浴衣が似合いそうだけど・・・」
「・・・この浴衣、旦那様の浴衣と一緒に縫ったのでございます。私だけ赤やら桃色の浴衣では、一人だけ目立ってしまいそうで・・・」
奥ゆかしいは、目立つことを嫌う。「女は男の後ろ盾をするもの」という考えのもと育てられた、完全なる大和撫子。そんなのことも、八雲は堪らないほど愛しかった。すでに夫婦となって、仕事以外の時間はほとんど一緒にいるが、それだけでは足りない。仕事中でも目に浮かぶのはの笑顔。今の自分では、もうなしでは生きていけそうにないと心から八雲はそう思う。
「旦那様?」
「あぁ、地味な浴衣でも、中身はに変わりはないんだから構わないわ。じゃぁ、行きましょうか。」
「はい。」
家から出ると、ちらほらと川の方へと向かう浴衣の人達の影が揺れていた。いつものようには一歩後ろを歩いていた。いつものことだから、八雲はなんとも思わず歩いていたのだが。大きな通りに出ると、そこは人でごった返していた。まるで、川の流れのように見える。しかもかなりの激流に。
「旦那様・・・?」
自分を呼ばれたことに気がついてのほうを振り返ると、少し驚いた顔をしていた。ふと手元を見ると、自分の手がの手を握っていた。無意識のうちにはぐれることを恐れた八雲が、手を取ったらしい。そんな自分行動に驚いていることを隠そうと、精一杯の笑顔で八雲は
「はぐれたら大変でしょう?が近くにいないと落ち着かないわ。」
と言った。それを聞いたは、嬉しそうに少し俯き、
「はい。」
と一言。手を繋いだまま川の畔へと歩を進める、大柄な男と小柄な女。みたところ、とても夫婦には見えない。歳の離れた兄弟、といったところか。しかし、周りの目など二人には関係ない。二人は夫婦という事実は、周囲の目になど揺るがないものだから。
川の畔はすでに人でいっぱいで、座る場所などなかった。小さく溜息をついた八雲は、グイグイとの手を引いた。人に挟まれ八雲に引っ張られ、は今にも転びそうになりながらも、何とか八雲についていった。
着いたのは川の畔の料亭。庶民では立ち入ることの出来ないような立派な造り。しかし、はそれほど驚いている様子はなかった。華族の末姫なのだ、このような所は来慣れているのだろう。
「お邪魔するわよ。」
「はいはい・・・あぁ、これは八俣様。」
店の主人らしき小太りの男が正座して八雲を迎える。
「個室、開いてないかしら?」
「丁度、ご予約のお客様がいらっしゃることが出来なくなったので、一室空いておりますが。」
「じゃぁ、私達に貸してくれるかしら?」
「はい。どうぞどうぞ。さ、こちらでございます・・・」
店の主人はいそいそと八雲たちを部屋へと誘う。着いた部屋は、川に面したこじんまりとした個室だった。
どーん・・・バラバラバラバラ・・・
「どうやら、丁度花火が始まったようね。」
八雲は、店の主人に「酒を・・・」と注文する。そんなことにはお構い無しのはすぐさま窓際へとへばりつき、美しい花火を眺めていた。その後ろから、八雲も窓際へと足を進める。膝をついたが八雲のことを見上げ、にっこりと微笑んだ。まるで小刀で心臓を貫かれたような痛みが、八雲の胸に広がる。
「そんなに嬉しい?」
腰を下ろしながら、その頭を優しく撫でながら八雲は問うた。その手はするするとの頬へと降りる。その手に触れながらは、
「花火を見れるのも嬉しいですが、旦那様と二人で見れることが嬉しいのです。」
と、顔を赤らめながら困ったような笑みを浮かべた。
「・・・」
頬に手を添えたまま、八雲は顔を近づけ小さく口付けた。唇が離れた後にを見ると、先ほどとは比べ物にならないほど真っ赤になって、それでも嬉しそうに微笑んだ。
その華奢で小さな体を抱き寄せ、自分の膝に座らせるようにして、八雲は後ろからを抱きしめた。
「これから先・・・老いて死ぬまで、毎年ここで花火を眺めよう・・・」
「はい・・・」
まるで光の雨が二人に降り注ぐかのように、様々な色の火の粉が天から零れ落ちていた。
あぁ、久しぶりすぎ。カミヨミ八雲夢。
しかも、同一ヒロイン。
ていうか、大和撫子を書くのは難しい・・・
だって、私が大和撫子じゃないんだもん・・・(爆)