夏の昼下がり。いつもの通り道の公園を、歩く一人の女子大生。黒く長い髪を靡かせながら颯爽と歩くその姿に、きっと人は振り返るだろう。しかし・・・今この公園には見る限り彼女しかいない。



−ステンドグラス-



人通りの少ない公園。まだ明るいから、通っても平気だろう。そんな考えでこの公園の中を歩いてる彼女の名は、。教育学部に通う大学2年生。見た目の美しさもさることながら、その成績のよさ、人当たりのよさは、どんな人も惹き付ける魅力である。一人で噴水を眺めながら歩いていると・・・

「蝶美味そうな女発見♪丁度小腹もすいてるから、頂いちゃおうかな☆」

と言う妙なセリフがの耳に届いた。その声の方向を振り返ると・・・そこには、異様な服に身を包み、蝶々の仮面をつけた男が立っていた。を見ながら、ニヤニヤと笑っている。

(こういうのには関わらないのが一番・・・)

そう思いながら、足早にその男から遠ざかろうとする。

「おっと、待ちなよ。大事な『餌』に逃げられるわけにはいかないからね。」

男はの腕を掴み、先ほどよりもさらに黒い笑みを浮かべている。
の頭の中はさっきのセリフの真の意味を算出するのにフル稼働していた。

「蝶美味そうな女」→好みの女
「小腹もすいてるし」→溜まってるし
「頂いちゃおうかな」→襲っちゃおう♪

ここまで考えたにわかったことは一つ。

や、ヤられる!!

慌ててその腕を振りほどこうともがいた。それでも、その腕は一向にの腕を離そうとはしない。それどころか、さっきよりも腕を握る力は強くなる。

「お願い・・・離して!!待ち合わせしてるの!」

「んじゃ、その相手に電話しなよ。『もう会えない』ってさ。」

力づくでを茂みに連れ込むと、思い切り地面にの身体を転がした。背中に木の根が当たり、思わず呻くような声を上げる

「ふーん・・・いい女だな。食べるだけじゃもったいないか・・・。ちょっと楽しませてもらってから食べるとしよう♪」

ちょっと待て??「頂く」って、襲うことじゃなくて、本当に食べるって意味だったの?!

やっと、さっきこの男が言ったセリフが婉曲した表現ではなく、率直な表現だったことを悟った。貞操の危機ならまだしも、生命の危機に自分が陥っていることに気付いた。恐怖に身体が震える。

「お願い・・・やめて・・・」

「くく、その怯えた顔、蝶最高♪」

覆いかぶさったその男の瞳は、明らかに人間のそれではなかった。自分と同じ種族以外をゴミとでも思っているかのような、そんな冷たい瞳。

でもどこか・・・懐かしいような・・・そう、絶対にどこかで見たことがある。この人のことを・・・思い出せ、自分・・・!

一生懸命考えを廻らしていると、その男はくすくすと微かな笑い声を立て、に言った。

「神に祈る時間でも欲しいのか?」

この声もどこかで・・・。

「お願い、5分。5分だけ待って。逃げたりしないから。」

もう、逃げることを諦めた。きっとこの人間離れした力の前では、逃げることなど出来ないから。ただ、この人が誰なのか思い出したくて・・・悩みながら死ぬのは嫌だったから。

「・・・いいだろう。」

覆いかぶさっていた男は、の身体を解放した。しかし、その腕はぎっちりと握り締められていた。きっと、痣も出来ていることだろう。
は、ひたすら目を瞑り考えた。絶対に会ったことがあるはず。でも、どうして思い出せないんだろう・・・。本当は会ったことなんてないのか、それとも、自分で記憶の奥底に沈めた人物なのか・・・。

ひたすら考えたが、答えは出ない。審判のときは刻一刻と迫り来る。

「さぁ、懺悔の時間は終わりだよ。」

男の腕がを力強く引き寄せる。その色白の手。見覚えがある。綺麗な指、白い手・・・
高校の時に片思いだった・・・彼みたいな手。

「蝶野・・・くん」

は、気がつくと片思いの彼の名前を呼んでいた。

「何?!」

蝶々仮面の男の手が止まった。

もしかして・・・

「蝶野くん・・・なの?」

「・・・なんでその名前を知っている?」

あからさまに眉間に皺を寄せ訝しげな表情でを見つめる男。

「本当に蝶野くんなの?心配してたのよ・・・失踪したって聞いて・・・」

これは安堵の涙なのか。の瞳から、ポロポロと宝石のような涙が零れ落ちた。蝶野、と呼ばれた蝶々仮面の男、パピヨンは、その女の涙が自分のために流されていることを信じることは出来なかった。自分を必要としなかった世界に、自分のために涙を流してくれる女がいるなど、どうして信じられようか。

「お前は・・・誰なんだ?」

襲うことも食することも忘れ、パピヨンはに問うた。
は、靡かせていた黒い髪を高く結わえ、バッグに入っていた眼鏡を取り出して掛けて見せた。

「・・・・・・

は、人間であったときのパピヨン、蝶野攻爵と一緒に入学し、一緒のクラスで・・・クラス委員をしていた。久しぶりのクラスメイトの顔。

「俺のことを・・・心配していた?嘘をつけ。お前はいつだってそうだった。クラス委員だからと、休みがちな俺の部屋にプリントを持ってきたり・・・テスト範囲を教えに来たり・・・二言目には『私、クラス委員だから』だった。俺のことを、本気で心配なんてしていなかったんだろう?病院に見舞いに来たのだって、『クラス委員』の役目だったから・・・」

「違う!!」

の鋭い声が、パピヨンの言葉を遮った。

「・・・何が違う。」

「私・・・蝶野くんのことが好きだった。こんなに人の事を好きになったのは初めてだった・・・。だから・・・どうしていいかわからなくて・・・『クラス委員』を名目に、貴方に会いに行ってた・・・。そのことが、貴方を苦しめていたなら、謝るわ。煮るなり焼くなり好きにして。私を食べることで貴方の空腹が癒されるなら、私は黙って食べられるから・・・」

パピヨンは初めて知った。蝶野攻爵を必要としていなかった「世界」の中にも、蝶野攻爵を必要としてくれていた「人」はいたことに。それがわかっただけで、「蝶野攻爵」が存在していた証となるような気がして。その「証」を消したくはなかった。

「・・・行け。待ち合わせをしているんだろう?」

「・・・嘘よ。ただの帰り道。」

「ふーん、いけないな、クラス委員が嘘をついちゃ。」

「・・・女の子を襲うなんて、人としてやっちゃいけないんじゃないの?蝶野くん?」

「・・・」

パピヨンは、洗いざらいに今までの自分のことを話した。ホムンクルスになったこと、LXEのこと、今自分がパピヨンと名乗っていること。何もかもを。は、その話を真剣に聞いていた。ベンチに座り、二人は長い間語り合った。空はすでに、赤く燃えるような夕焼け色に染まっていた。

「そっか・・・大変だったのね。」

「怖くないのか?俺は人間を喰うんだぞ?人間じゃないんだ。」

「私は、蝶野・・・じゃなかった、パピヨンのことを信じてるから。さっき、私に『行け』って言ったのは、私のことを食べない、ってことでしょ?」

「まぁ・・・な。」

寄宿舎の部屋の中でかつて見せた明るい微笑を、はパピヨンに向けた。

あぁ、思い出した・・・俺も・・・のことを・・・

「好きだった・・・」

「え?」

その言葉に、驚いたようにが疑問符を投げかけた。

「・・・『蝶野攻爵』も、お前のことが好きだった、ってことさ。」

の頬が赤くなったのは、照れてのことか、それとも夕焼けのせいか。定かではないが、は嬉しそうに微笑を浮かべた。

「ありがとう・・・」

「・・・パピヨンとしても、お前のことを好きになってしまったみたいだ」

「・・・!」

並んで座っていたパピヨンは、のことを抱きしめた。帰宅時間となって公園を通るサラリーマンやOLは、そんな二人を冷ややかな目で見つめているが、二人にそんなことは関係なかった。

「だが・・・よく、俺のことなんて好きになったな。あの頃から、クラスでは『透明な存在』だったのに。」

「透明・・・ガラスみたいな人だとは思ってたわ。激しい刺激を与えれば壊れてしまいそうな人だと思っていた。けど、私からすれば、窓に使われているような透明なガラスじゃなくて、『ステンドグラス』みたいな人だと思ってたのよ。きっと人には見せない、いろんな色があるんだろうなって。これから、それ、見せてくれる?」

「あぁ。約束するよ。」

二人はベンチから立ち上がり、夕闇の広がってきた空の中、の家路へと着いたのだった。
人間とホムンクルス・・・二人には前途多難な未来が待ち受けているが・・・きっと二人なら乗り越えていけるだろう。




仕事中に思いついて家に帰ってきて速攻書きました。
パピヨンは、ステンドグラスみたいな人だと思います。
いろんな面があって。でも脆くて。
そんなパピヨンが愛しくて仕方がありません(爆)。

裏っぽいの苦手な人、すいませんでした・・・。