私は、妖に出逢った。
空よりも青い髪と、炎よりも赤い瞳。
その姿は、私の魂に刻まれた。
−八千代ノ風−
前世を記憶する人間。稀にみる人種ではあるが、はその部類に属するものだった。恐らく、その記憶があまりにも鮮明だったのだろう。魂に刻まれたその姿は、世代を超えて今、へと受け継がれた。
一体何代前の記憶なのかさえも分からない。恐らく時代は平安から戦国辺りだろう。何故自分の前世である少女がそこにいるのかは分からない。その辺りの記憶はあやふやだった。けれど、一つだけ鮮明に思い出せることがあった。
垂れ込める雲、今にも天から雫が零れ落ちそうな中に立つ、青い髪の男。一目見れば人間ではないことが分かる。耳は尖り、眼は燃えるような赤。鍛え上げられた肉体。その男の足元に跪く少女。背後には大きな滝。流れ落ちる水のしぶきが、二人を濡らしている。恐らくはの前世である少女。その男はしゃがみこみ、少女の耳に囁いた。
「逃げなさい・・・そして、二度とここへと足を踏み入れないで・・・」
そこまで言葉を聴くと、必ずは目を覚ました。幼い頃から繰り返し見てきた夢。今の自分で逢ったことはない。恐らくは前世の記憶なのだと。相談に行った占い師にそう言われた。超能力や心霊の類は全く信じていなかったが、繰り返し見るその夢に、信じざるを得なくなっていた。
親戚から、遊びに来いと誘われ、家族でやってきたのは、出雲。神話の里に降り立ったは、その風に懐かしさを覚えた。来たことはない。幼い頃に来たことがあるかどうか親にも確認した。親ははっきりと「来たことはない」と告げた。
まるであの夢のような感覚に陥る。目の前に広がる森。その森の奥から、誰かが呼んでいる気がした。声が聞こえるわけでも、姿が見えるわけでもない。ただ、何か、得体の知れない力がを引っ張っているような気がしてならなかった。
その日は、は一睡も出来なかった。親戚の家の広い部屋の布団の中で寝返りを打つ。風が木々を揺らす。その規則的なざわざわという風の音も、にとっては子守唄にはならなかった。目を瞑ると、いつもより鮮明に夢の中の男の姿が現れる。何をするわけでもなく、自分を眺めているその姿。何か言いたげだけれど、それは口にされることはなく。何度も何度もの寝返りを打つうちに、外はだんだんと白み始めた。
この感覚は一体なんだろう。ドキドキと鼓動が早い。いてもたってもいられず、は家から抜け出し、薄着のまま森へと入った。最初は軽い散歩のつもりだった。けれどその足は、自分の意思とは関係なくどんどんと森の奥を目指して進んでく。朝靄に煙る森の中を、迷いもせず一直線に進んでいく。自分でも何処にたどり着くのか分からない。でも、必ずある場所に着くと。意味を解することの出来ない確信がの中にはあった。短いズボンをはいていた足は何で切ったのか分からないが、あちらこちらに傷がついていた。あらゆるところに泥が跳ねて服を汚している。
どれほど歩いただろう。急に目の前が開けた。そこには、雄大な滝が流れ落ちていた。水しぶきが顔にかかる。目に入ったその映像は、見覚えのある光景だった。
「夢の中・・・」
一言だけ、は呟いた。その場所は、見紛うことない何度も夢の中で繰り返し見てきた光景だった。空は少し曇り始めていた。まるで夢と同じような風景。でも、一つだけ決定的に違うことがある。空色の髪の男がいない。
「八雲・・・八雲ー!!」
は自分でも驚いた。今まで聴いたことのない名前が口をついて出た。八雲などという名前は、怪談で知られる小泉八雲くらいしか聴いたことはない。
それでも、には分かっていた。その『八雲』と言うのが、空色の髪の男の名だということが。頭で理解しているのではない。恐らくは魂に刻まれたその名をは叫んだ。引き裂かれた恋人の名を呼ぶかのように。
「八雲!!」
「何者だ、気安く八雲様の名を口にするなど、無礼にもほどがある。」
の頬を掠め、鋭利な刃物が地面へと落ちた。見覚えのある黒い服の少年。見覚えがあるが、名前は思い出せない。でも、彼が八雲へと繋がる唯一の手段だと。は確信した。
「お願い、八雲にあわせて!」
「何者かと訊いている。それに答えらぬ様な輩に、八雲様にお会いさせるわけには行かない。」
「私は・・・!」
・・・私は一体、何者なのか。思い出せない・・・かつての自分の名前を。八雲に会えれば、思い出せるかもしれないけど。
「尊、やめなさい。」
「八雲様!」
その懐かしい声。この体では初めて聞く声なのだろうが、その求め続けていた声を聞くことができて、の瞳には歓喜の色が浮かぶ。
森の中から、求め続けていた空色の髪の男が現れた。夢の中の男とは少々見た目は違うが、間違うことはない。彼こそが八岐大蛇、八雲。
「八雲・・・」
「・・・何故、貴方は言うことを聞いてくれないの?これで何回目かしら。ここには二度と足を踏み入れるなと、何度言ったら貴方に通じるの?姿を変えて、貴方は必ず人の一生の周期に合わせて現れる。今回も、そろそろだとは思っていたわ。お願い、もう、これ以上私を苦しめないで、櫛名田。」
櫛名田
そう呼ばれたの背筋に電流が駆け抜けた。そして、全てを思い出した。
そう・・・私の名は櫛名田。かつて、八雲を封印した者の妻となった者。しかし、一度潰えた命の後生まれ変わり、運命とも言うべき再会を八雲と果たした。
八雲が足名椎に娘達を所望していたのは、元々は櫛名田を手に入れたいが為だった。しかし足名椎は櫛名田の姉妹達を犠牲にしても、櫛名田を守り抜こうとした。その時、八雲が想いを寄せた唯一の者だった。櫛名田もまた、人知れず八雲に想いを寄せていた。姉妹達を喰らう恐ろしい化物。そうさせたのはほかでもない、父である足名椎だ。
かつて八雲を封印した須佐之男の妻であった櫛名田は生まれ変わり、ただの人間となっていた。今までに何度人間として生まれ変わり、八雲と会っただろう。何度も想いを伝えようとした。しかし、その度に
「ここから去りなさい。二度と足を踏み入れないで。」
と追い返されるだけだった。
全てを思い出した。今回こそは今まで伝えることが出来なかった想いを伝えようと。魂がそう望んでいた。だから、彼女の体は一心不乱に斐伊川の上流のこの滝を目指したのだ。魂で、この場所を覚えていたから。
「なぜ、私を追い返すの?私に会うのが嫌なら、何故私の魂を滅ぼさないの?今日追い返されても、きっと次生まれ変わっても、その次生まれ変わっても、私は貴方の元を尋ねてくるわ。私は、何度生まれ変わってもこれほど貴方のことを愛しているというのに」
「それは・・・」
ポツポツと天から零れ落ちた雫が二人を濡らす。雰囲気を悟ってか、尊はいつの間にか姿を消していた。
「お願い、答えて。ちゃんと答えてくれたら、私はこれ以上貴方を困らせるようなことしないから。」
の真剣な瞳に、八雲の心臓は思わず高鳴る。愛しくないわけではない。共にいたいと思う気持ちだってある。しかし、相手は櫛名田の生まれ変わりとはいえ、人間の娘。
「八雲・・・貴方が私を愛していないのならそうい・・・」
「愛していないわけないじゃない・・・一体何千年貴方のことを想い続けてると思ってるのよ!?」
抱きしめてしまいたくなる衝動を必死で抑える八雲。その姿が痛々しいほどにはわかった。でも、それで攻撃の手を緩めてしまえば、また真実は闇の中。答えを求めるのはまた来世でということになってしまうだろう。
「なら、どうして・・・」
「どうして・・・どうして!貴方は妖として生まれ変わってくれないの?!」
堰を切ったように八雲はの体を抱きしめた。あまりの力の強さに、思わずは呻き声を上げた。
「ほら・・・所詮人間の体なんてそんなもんなのよ。私の力に耐えられない。私が本気で貴方を愛してしまえば、貴方の体は壊れてしまう。愛しい者を壊すほど苦しいものはないわ。だからお願い、このままこの場を去って頂戴・・・」
「八雲・・・もし、私が妖として生まれ変わることが出来れば、その時は私のことを受け入れてくれる?」
「受け入れるも何も・・・私が貴方のことを探しに行くわ。」
「それを訊いて安心した。すこし・・・待っててね。私、妖として生まれ変わって必ず貴方の前に現れるから。私が次尋ねてくる時は、妖として、貴方に添い遂げるために必ずここに来るから・・・」
「貴方・・・何を・・・」
「また会いましょう。八雲。」
「待ちなさい、何処に・・・」
は踵を返して八雲の前から姿を消した。その姿は、何か心に決めたような強い気持ちが満ちているようにさえ見えた。八雲はを追えなかった。追ってしまえば、取り返しがつかないことになると。きっと、彼女を壊してしまう結果になるだろうと思って。
森から消えた。親戚の家にも姿を現わさなかった。雨で増水した川のほとりに、の靴が発見されたのは、が消えてから一週間後の晴れ渡った日だった。
なんじゃこりゃ。わけわからーん!
えっと、一応古事記から
名前とか引用してます。
八岐大蛇を退治したのが須佐之男、
その奥さんが櫛名田、
お舅さんが足名椎。ちなみにお姑さんは手名椎。
須佐之男→櫛名田⇔八雲
みたいな関係(爆)。