は八雲の姿を探していた。もうすぐ大禍刻。妖の持つ禍々しい空気は、慣れたとはいえ元・神の遣いであるにとって、気持ちのいいものではない。まして、大禍刻の近付く今、その空気は色濃く感じられるようになってきた。こんな時は、少しでも八雲の傍にいたいと、は八雲の姿を探して館の中を彷徨っていた。
ある部屋の前に来たとき、八雲の声が中から聞こえた。
「あぁ、もうじき大禍刻・・・今度こそ・・・貴方に会えればよいのだけれど・・・」
「・・・!」
聞こえてきたその言葉に、は言葉を失った・・・。
その声は、あまりに・・・何かに酔いしれ、ひどく彼の人を求めているように聞こえて・・・
−”長い”が”永い”に変わる瞬間−
八雲がその部屋から出てくると、俯き、肩を微かに震わせるの姿があった。
「あら、・・・どうしたの・・・」
八雲がの肩に手を置こうとすると、その手は勢い良く跳ね除けられた。目を丸くしてのことを見下ろす八雲。
「触るな!出て行く!邪魔だてすると斬り殺すぞ!」
「ちょっと、落ち着きなさいって!ってば!!」
「五月蝿い!!」
踵を返し、出口へと向かい歩を進める。慌てて八雲はそのあとを追う。
一体何があったのか。八雲には何がなんだかわからない。ただただ、は怒り狂い出て行くと叫び、廊下を大股で出口の方へ向かって邁進する。掴もうと八雲は腕を伸ばすが、まるで霞を掴むかのようにの腕は捕えどころなく八雲の手をすり抜ける。
「あぁ、もう!!待ちなさいってば!!」
腕を掴むことを諦めた八雲は、身体ごとを壁に押し付けた。の顔が苦痛に歪んだ。しかし、すぐに憎しみとも取れる鋭い視線を八雲に向かって放つ。
「どうしたって言うのよ・・・。何で急に出て行くなんて・・・まさか、他に好きな男でも出来たんじゃないでしょうね?!」
「たわけ!それはこっちの台詞だ!」
すでに入り口近く。滝の音が聞こえる。の放った言葉のあとには、の荒い息と、滝の音しか聞こえない。
八雲は、何を言われているのかさっぱりわからなかった。「こっちの台詞」・・・八雲には、他の女に現を抜かした覚えなど全くなかった。以外の女を愛することなど自分には出来ない。
「・・・あんた以外を愛したことなどないけど?」
「私などよりも心酔し、愛しているものが居るだろう!」
にとって、先ほど聞いた八雲の声は今までに聞いたことのない声だった。それほどまでに誰を求めているというのか。八雲に愛されていると思っていたこと自体が、嘘のように感じた。自分以上に愛する者を求める者の傍で、一生を添い遂げられる勇気はなかった。
しかし、八雲は「心酔」という言葉でわかった。が誰のことを指しているのか。
「・・・さっきの話・・・聞いていたのね」
「・・・!!」
の目が、ぎろりと八雲のことを睨みつける。
あぁ、は嫉妬しているのだ・・・
それに気付いた八雲は、嬉しさに顔を歪ませる。
「何が可笑しい!!」
顔を真っ赤にし、心なしか目まで潤ませて叫ぶが、可愛くて仕方がない。苛めたい衝動に駆られるが、それを我慢しないと、今回ばかりは本気で出て行きそうな雰囲気なので、さすがの八雲も我慢することにした。に出て行かれては元も子もない。
八雲は、今まで自分の過去を語ったことはなかった。また、も八雲に過去を語ったことはない。二人にとって、過去など重要なものではなかった。出逢ってからの時間、共に過ごしている現在、そして、互いが存在する未来。彼らにとって重要なのはこの3つだった。
今まで、「鬼の手」を探していることを、に話したことはなかった。尊敬し、崇拝する羅刹を蘇らせようと暗躍していることも、は知らない。知る必要はないと思った。けれど・・・この際、隠し事をせず話そうと決心した。
「・・・私が愛しているのは貴方だけ。でもね、貴方以上に心酔している人はいる。妖の私が言うのも可笑しい話だけど、その人は私にとって神のような存在なの。今まで、貴方にも隠してその人を蘇らせようとしてきた。大禍刻はその人が蘇る可能性の高い時間。さっき呟いていたのは、その人に会いたいと思う独り言よ。貴方にとっては、気に食わないことだと思う。良くわかるわ。でも、信じてほしい。本当に愛しているのは貴方だけよ・・・。」
「・・・」
俯き、は口を閉ざした。八雲の言葉を真剣に聞いている様子は窺えるが、納得はしていない。そんなことは、長く同じときを過ごしてきた八雲にとって、手に取るようにわかる。他の人から見ると、きっと感情の起伏の非常に少ない女に見えるだろうが、共に過ごしていればわかる表情というものもある。
「・・・」
名前を呟き、八雲はのことを抱きしめた。先ほどまで暴れていた女とは思えないほど、しおらしく八雲の胸に収まる。
「貴方だって、神に命を預け、神の遣いをしてきたはず。私も同じだったの。羅刹様に命を預けて、彼のために動いてきた。その人が急にいなくなり・・・そして今、彼は蘇らんとしている。心酔し、崇拝し、命まで差し出してもいいと思った。私は、彼にもう一度会いたい。」
「八雲・・・」
「だが・・・心から愛しているのはお前だけだ・・・。信じる、信じないはお前次第。今の話が信じるに足るかどうか、お前の判断に任せよう・・・。判断した上で、出て行くのなら・・・俺にお前を止める権利はない。」
八雲の胸からは解放された。その瞳は、真っ直ぐに八雲の瞳を見つめる。瞳を逸らさずに、八雲もの瞳を見つめ返した。辺りには滝つぼへと大量の水が流れ落ちる音だけが響く。
「・・・信じよう。」
が目線を逸らしながら呟いた。
「・・・しかし、その荷を貴様だけで背負うのは辛かろう。・・・手助け・・・してやらんでもない。」
の顔が仄かに赤くなる。
「・・・ありがとう・・・」
八雲は笑顔でに口付けた。
八雲にとって羅刹は、くらい、いや、以上に大切な存在なのかもしれない。それを敢えては受け入れた。羅刹に心酔する八雲も、の愛した八雲の一部なのだから。
永い時間を共に過ごすのは、難しいことだと思います。
相手の許せないところも、全て許しあう。
それでこそ、永い時間を過ごす秘訣だと思うのです。
許せないところを許すことが出来た時点で、
「長い」から「永い」に変化するんじゃないでしょうか?
・・・私には到底無理そうですが(爆)。